ごう慢な学者よりも、才能はそれほどでなくとも、
徳のある謙遜な人のほうが、
ずっと良い偉大なことを成し遂げます。
星美学園小学校 中村 敏光
私が選んだドン・ボスコのことばをご説明する前に余談ではありますが、歴史上の人物である弘法大師・空海についてお話します。
空海は、真言宗の開祖として有名ですが、私も空海の影響を受け、数年前から、秩父遍路(34カ所)を3回完歩、現在は、四国遍路(88カ所)を行っています。(今27カ所まで巡っています。)
四国遍路は、私のライフワークでもあります。
弘法大師は、地位・名誉等一切の私利私欲を捨て、他者のためにその生涯を捧げました。また信仰だけではなく、文化面等多方面的でも多大な影響を与えています。現在でも日本全国にその足跡を残しています。
一方、ドン・ボスコも同様に一切の私利私欲を捨て、他者(青少年)のため、その生涯を捧げました。
空海が、「思想」の人であれば、ドン・ボスコは「実践」の人ではないでしょうか。
ドン・ボスコは、常に青少年と共に在り、青少年を導くために聖マリアとの使命(ミッション)を実践しました。そのため「青少年の友」と呼ばれています。
今回のドン・ボスコのことば100は、その実践の中から自然に発せられた言葉の数々であると思います。
ドン・ボスコは、あらゆる面での指導者でしたが、今回のことば100は、主として聖職者及び教育者のことばが多く、私は、事務職員かつカトリック信者でないため、その点に関しては、実践がなく、頭で理解していても正直心・魂では汲みこんでいないと思っています。
従って、今回、私は、「けんそん」の中から選びました。
既に64歳を迎え、今更といわれる方もいると思いますが人生を通じて、人は頑固・傲慢であってはならないと思います。
文中にある「徳のある謙遜な人のほうが‥‥」での徳のある謙遜とは、人としての気品、温情、理性、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、などであり、生涯努力すべきものです。
また、「ずっと良い偉大なことを‥‥」は、単に偉業をなすということではなく、人として生きることであり、些細なことでも人として正しく生きるということではないでしょうか。
現代は、政治・経済・社会も何となく落ち着かず、不明確・不明瞭であり、人らしい・人間らしい思いが薄れそうな時代です。だからこそ、ドン・ボスコのことばは、私達にとって、人としての生き方を指し示すものであると信じています。